妻、北沢啓子の闘病
ブログやフェースブックの更新を2ヶ月余りしませんでした。“政治向きの話”を書く気にならなかったこともありますが、連れ合いの北沢啓子が4月15日に再入院して、それをつまびらかに書くことができなかったことが一番の理由でした。
当初入院していた阪大病院と連携するがん治療拠点病院である「S都Y病院」にお世話になっています。阪大の主治医ととも連携して治療に当たっていただいてきました。
昨年7月に胃がんで全摘手術を受け、進行がんだったので「TS-1」と言う抗がん剤を8ヶ月ほど飲み続けました。しかし、2月17日の私の「感謝の集い」が終わって、3月初め頃から腹痛と吐き気に悩まされ、検査の数値が悪いのにどこに問題があるか判明せず、4月5日のCT検査で、ようやく腹水が溜まっていて、腹膜への転移 ( 腹膜播種 ) が疑われ再入院になったのでした。
食事がほとんどできない状態でしたから、中心静脈に栄養剤を点滴で注入し、4月18日から週一回、「TS-1」に変えて新しい「パクリタキセル」という抗がん剤を使って『進行抑制』をめざし、本人も家族も新しい薬がガンをやっつけてくれるのを期待して、私も毎日病院に通っていました。息子の大地、連れ合いの仁美、孫の陽向も日を開けずに顔を出し、沢山の友人も励ましにきてくださいました。
5月30日の第2クール3回目の抗がん剤投与は白血球が多すぎて中止、これを前後して急速に容態が悪化しています。6月2日に個室に変わって、私も日中は大地と交代して貰いながら夜は病院に泊まることにしました。現在は、「高栄養剤」より若干カロリーの低い点滴、本人の希望によって量を調整できる痛み止めの点滴、吐き気を避けるために胃液や腸液の逆流を直接排出する「胃菅」を鼻から挿入し、酸素も吸入で補う状態です。
眠っていることも多いですが、声をかければ反応し、見舞いの人たちには、ジェスチャーで感謝し、握手を求め、昨日も『気をつけて帰ってね』と応じていました。先ほども「痛い、しんどい、何かして欲しい?」と声を掛けると『大丈夫、大丈夫』と応えています。
残念ながら、「進行抑制」から「緩和ケア」に移行したと考えなければなりません。今日、阪大病院の主治医と家族で話す機会がありましたが、『再発までの期間、再発してからの進行、いずれも予想を超えた事態だった。残念としか言いようがない』とのことでした。いろいろ心配いただいている多くの人々に、この段階で正確な状況を伝えるべきだと考え、病院でブログなどにアップすることにしました。
北沢も全力で闘っています。私も家族とともに最後まで寄り添って行くつもりです。