投票日

昨日、藤田一枝さんからも『ハッピーバースデー』のメール、近況を私からも返信して‥‥、昼過ぎにソーメンをゆでていてハッと突然思いだしました。彼女の誕生日も7月20日で、それでメールをくれたことを。

慌てて、「失礼しました。〇〇歳の誕生日誠におめでとうございます」と追伸、彼女からは『そうですよ。又、歳が増えちゃいました。でも、それもいいですよ』と返事。落ち着けば、他の仲間を含めて逢いたいものです。

夜は、最終日行動が終了してから、大地親子、妻の両親と弟、7人で支持者の焼肉屋さんに行って誕生祝いをして貰い、久しぶりに肉をたらふく食べました。

今日は早々に4人で投票所へ、梅村さとしさんの必勝を心から祈ってます。

誕生日、最終日行動

多数の人から誕生日のお祝いをいただきました。心からお礼申し上げます。

自宅では火曜日ごとの法要、今週三十五日を済ませ、来週が「六七日」、満中陰の法要は27日の土曜日に営むこととしました。一つの区切りになります。

梅村さとしさんの選挙は可能な限りお手伝いをしています。個人演説会の応援弁士、街宣車の先導、駅頭街宣や「桃太郎」。梅村候補のひととなりや実績が十分浸透しない焦りも感じながら‥‥。今日も午後に「最終日行動」に出かけます。

四七日

今日は「四七日」の法要、早一ヶ月近くが経過しました。長安寺のご住職に自宅に来ていただき家族4人で営みました。陽向は時々声を上げる以外はむずがる事も無くお経を聞いていました。

毎週、法要のあとは4人で食事に行くことに決め、十三で葬儀に参列してくれたお店を順に回っています。あわせて、啓子の死亡に伴う届などを進めています。まずは公共料金の名義の変更、今の自宅は私が2度目の挑戦に失敗し浪人していた2001年からですから、全て妻の名義になっていました。

一方、相続の関係で『事実婚』として私が申請できたのは、共済組合の年金関係と全労済のみ、住民基本台帳の続柄は「妻(未届)」ですが、金融機関など「法定相続人」は全て息子の大地になります。早く『選択的夫婦別姓』の実現をめざすべきです。

法律婚」であれば配偶者と子で1/2づつになるところですが、大地と相談し、実務は出来るだけ私がやるとして、啓子の相続は大地に一本化することにしました。どうせ私が先に死ぬのですから‥‥、二度手間を省くことにしました。

お世話になりました

通夜式は15日午後7時から時々小雨が降る中、450人もの方がお別れに来てくださいました。改めて北沢啓子の交友の広さを再認識したところです。喪主の大地もしっかり自分の感性でお礼の挨拶をしていました。導師・脇導師は長安寺のご住職と園勝寺のご住職、今は御両人とも故人になりましたが、私の活動を淀川区の「あゆむ会」会長として支えていただいた長洲真さん、長年、大阪府仏教会会長としてご支持いただいた増田貞園さんのそれぞれご子息です。縁を感じます。

16日は正午から葬儀告別式、一転暑い日になりましたが、お預かりいただいた香典の分を含め、お渡しした粗供養は400以上、お一人おひとりに心から感謝いたします。午後1時半過ぎに出棺、北斎場で火葬に付し4時からお骨あげ、午後5時過ぎに長安寺に帰って「初七日」の法要、6時前に無事北沢啓子を送ることができました。

17日から今日まで、議員や団体を中心に会葬御礼のご挨拶、後は後日の文書でのお礼になりますが、最後に彩都友紘会病院を訪ね、4階詰所と主治医にお礼を申し上げました。

通夜式

14日、仮通夜
午前10時に長安寺のご住職に来ていただいて枕経をあげてもらい、その後で葬儀社と打ち合わせ。喪主の大地、連れ合いの仁美や居合わせた北沢の親戚も加わって啓子の想いをいろいろ頭に浮かべながら詳細を決定しました。

夕刻から夜にかけて病院にも見舞いにきてくださった人々、急な知らせで駆けつけてくださった支持者のみなさんに北沢の顔を見ていただき、感謝の気持ちをお伝えし、線香をあげてもらい、夜は兄の淳、大地と3人で仮通夜の夜伽。

15日、通夜式
午前中からあいにくの雨。お別れにきていただく皆さんに申し訳ない、何とか止んでくれないかと願っていました。

大地が啓子の想いを斟酌して、棺の中にシャンソンの舞台衣装を飾ることをお願いし、通夜式の前や出棺の時に啓子のシャンソンを流すことも発案、葬儀社の方に苦労していただきMOからパソコンに取り込みCDに落としてくれました。

午後4時に納棺、式場に移動。何とか式の始まる頃には雨も止み、450人もの方がお別れにきていただき、大地も立派に喪主を勤め上げました。

式の終了後、兄の淳は親族の焼香順の 名簿作成、私は沢山の弔電と格闘しつつ、読み上げる70通ほどを選択、遅れて焼香に来ていただく方々ともご挨拶、明日の準備を今ようやく一段落させました。

北沢啓子、逝く

昨夜午後8時30分、北沢啓子 ( 享年65歳 )が永眠しました。8時過ぎから自力呼吸が困難になり、大地、妻仁美、長男陽向、妻の母妙子と私が見守る中、安らかな顔で息を引き取りました。兄の淳は東京から駆けつけましたが、わずかに間に合いませんでした。11時半過ぎに2ヶ月ぶりに自宅に連れ帰りましたが、ご飯が食べられるようになって絶対に退院すると言っていたのに、とても残念です。

14日に打ち合わせを済ませ、次のように葬儀を営むこととしました。生前のご厚情に感謝し、5日以降、フェースブックやブログを通じてご心配いただき、様々な励ましの言葉をいただいた皆様に心からお礼を申し上げ、ご報告とさせていただきます。

葬儀式 ; 6月16日 ( 日 ) 12時〜13時
通夜式 ; 6月15日 ( 土 ) 19時〜
場 所 ; 長安寺 ( 大阪市淀川区十三本町1-21-32 )
喪 主 ; 稲見大地 ( 長男 )

午後 ; 頑張っています

個室に移ってがん末期の「緩和ケア」に変わって12日目、昨夜も大地と二人で見守りましたが、北沢は頑張って朝を迎えました。血圧が60台まで下がっています。呼吸も浅くなり1分間に12・3回。午後血圧は71と少し持ち直しましたが、逆に体温は39.3度に、頭だけでなく体の側部にもアイスノンを入れてもらいました。