いなみ哲男感謝の集い

17日午前11時30分からラマダホテル大阪で、「いなみ哲男感謝の集い」を、後援会である「いなみ哲男とあゆむ会」と企業応援団である「稲穂会」の主催で開催していただきました。司会はわざわざ松山から駆け付けてくれた永江孝子衆議院議員、総務委員会で3年余りご一緒だったし、神戸大学卒業で私のことを『稲見先輩』と慕ってくれていたのでお願いしました。

主催者あいさつは「あゆむ会」会長の天野礼子さん(アウトドアライター)から、長い間の私の活動への支援に対しお礼を申し上げました。来賓として先輩・同僚の議員、前議員や候補者に登壇いただいて、代表して直接の上司だった樽床前総務大臣と今夏に選挙を戦う梅村聡参議院議員から、企業・団体・労組を代表して支持者の高野年市様からご挨拶をいただきました。そして、出身労組の委員長と私から謝辞、「稲穂会」の代表呼びかけ人谷岡一治氏の音頭で乾杯をして懇親に入りました。

開場から開宴までは昨年の予算委員会のDVDを放映したり、途中で支持者の方が作ってくれた16年間の活動を振り返る47カットものスライドを映しながら永江さんと私で説明を加えました。さらに、会が盛り上がったのは連れ合いの北沢啓子が感謝の気持ちを込めたシャンソンを3曲披露、昨年、胃の全摘手術を受け皆さんに心配をおかけしていたので、元気なところを見て貰えました。それと、地元の洋菓子屋さんからもらったチョコレートで作った50センチほどの熊の像、テーブルの代表と私のジャンケン大会を急遽実施、淀川区のテーブルが獲得して、早速『解体』、私にもおすそ分けをいただきました。

心配していた参加者もギリギリ何とか31テーブルに収まり、事務局を含めて310人を超える沢山の皆様に集まっていただき、2時間半近く、最後の後援会行事を楽しく無事に終了することができました。

  
《感謝の集い謝辞》
16年の長き間、私を支え続けていただいたことに心から感謝しご挨拶させていただきます。引退を表明し、尾辻かな子さんの選挙を闘った直後から、何とか、私が皆さまに感謝する集いができないかと考えました。

「あゆむ会」や「稲穂会」の役員さんにご相談して今日の集いを企画していただきました。皆さまに事前に相談もせず一人で引退を決意し、失礼にも、お手紙だけでご案内したにもかかわらず、こんなにたくさんの方にご参集いただきました。心からお礼申し上げます。有難うございました。

初挑戦から7年3ヶ月、郵政解散で4年間の浪人生活、衆議院議員としては5年ほどでしたが、充実した、そして悔いのない議員生活を送ることができました。これも、本日お越しいただいた皆さまをはじめ、支え続けていただいた皆さまあってのこと、感謝の気持ちでいっぱいです。

復帰した翌年に開催した政治資金パーティでも、『求めず、望まず、拒まず』を信条として申し上げましたが、政権与党の中で重要な役割を次々に与えていただきました。衆議院総務委員会筆頭理事、総務部門座長として党政調副会長や税調副会長を兼任、党震災対策本部福島県対策室長、仮設住宅等生活支援チーム事務局長、そして、最後の173日は総務大臣政務官内閣府大臣政務官として川端大臣、樽床大臣の下で精一杯の仕事ができました。何よりも、民主党で始まり民主党で終わることができたことは幸せだったと思います。

感無量で、これ以上言葉になりません。今日はゆっくりお楽しみください。元気ですから、これからも十三に居て、ボランティアとして皆さまに恩返しをしていきたいと存じます。最後に集いを準備してくださった「あゆむ会」や「稲穂会」の皆さんに、また、ボランティアとして準備してくれた事務所スタッフに感謝してご挨拶とします。本当に長い間ありがとうございました。

《お土産に同封したお礼状》
本日、「稲見哲男感謝の集い」を開催しましたところ、長年ご支援いただきました地元の皆様をはじめ多数の参加を得て、楽しいひとときを過ごすことができました。心から感謝いたします。急な解散、急な引退表明でご迷惑をかけながら、最後までお支えいただいた皆様に重ねてお礼を申し上げたい気持ちで一杯です。

私自身は48歳で政治家を志し、初当選に7年あまりを要し、途中で4年の浪人生活も経験し、衆議院議員としての活動は5年間ほどでしたが、皆様に支えられて充実した16年間の政治活動を過ごすことができました。

思い出深いのは、2000年、2度目の挑戦に失敗したあとお盆が過ぎるまで2ヶ月余りお礼とお詫びのご挨拶廻りを続けましたが、後で『汗だくになって挨拶にきた稲見さんを見て、次の機会には絶対に当選させてあげたいと思った』『焦ることはあらへん、でも私も年やから次までしか待てへん』など言っていただいたこと。

また、後援会中心の選挙への脱皮をめざし、地域ごとに「世話人」「役員」をお願いしながら、4つの後援会結成を経て、2003年に比例復活当選ながら初当選を皆様と喜び合えたこと。

2005年、わずか1年9ヶ月の在院期間で郵政解散になり落選、なかなか民主党の公認内定が決まらない中、一人で「朝立ち」「スポット演説」やポスター貼りをしていた時に、たくさんの皆様に『稲見さん、大変やろうけど頑張りや』と励ましていただいたこと。走馬灯のように思い出されます。

政治活動を始めた原点、「自民党に変わる政権交代可能な新しい政治勢力をつくる」は、2009年に私の国政復帰とともに実現しました。今回、惨敗し下野したとしても、その歴史は消え去るものではないと確信します。

私自身、3年3ヶ月精一杯の活動を続けてきて悔いはありません。党震災対策本部福島県対策室長、衆議院総務委員会筆頭理事、総務大臣政務官 ( 内閣府大臣政務官併任 ) として、貴重な経験でした。

これからは一党員としてボランティアとして、経験を生かしながら活動を続けてまいります。倍旧のご指導ご鞭撻をお願いし、お礼のご挨拶といたします。

    2013年2月17日                      稲見哲男

.